栄光のあしあと
令和7年11月30日(日)に第79回竹田市駅伝競走大会が開催された。
79回を数える駅伝競走大会は他にあまりないのではないか。
竹田市がまだ直入郡の一部であった戦後の昭和21年から始まった大会である。
今年の明治チームは15チーム中13位の成績となった。
当日のメンバー変更にもかかわらず健闘した。
過去に遡ってみると昭和41年の第19回大会から昭和58年の第37回大会まで19年連続優勝を達成した記録が残されている。
今後ともこの大会が続いて行く事、明治チームが出場できるよう望む者である。
宮城と菅生が欠場する中城原を上回り15チーム中13位という好成績でした。
地区別では、つい数年前まで3チームもエントリーしていたあの城原を上回り15地区中12位という結果で、充分満足のいく成績でした。
ギックリ腰やインフルエンザというハプニングの中、急遽今朝何とかエントリー出来たのは明さんの前向きな気持ちが通じたのだと思います。
ちなみに男性区間に唯一女性の丸小野さんが走り、努力賞を獲得出来たのもみんなの力のお陰です。
選手・スタッフ・応援の皆さんありがとうございました。この力で次は交流会を成功させましょう!
受付を済ませたら、先ずは保健師さん愛育保健推進員さん達の協力のもと「健康チェック」です。今回の数値はいかがでしたか?
出し物は、少し恥ずかしがりやの子ども達による「ズンバ・キッズ」加藤病院職員さんによる「稲葉よろうち座」の劇
ゴミ分別お話を聞いた後のクイズ、私は認識を改めました
「お楽しみ抽選会のビンゴゲーム」は大盛り上がり♪
暑さ対策を出来る限りの工夫で乗り切った集いですが、でも暑かったですね。準備・運営に携わって下さった皆様、大変お疲れ様でした。
6月7日(土)に竹田小学校にて、第73回「友情の蛍」
ホタル送り(コロナ禍以降は受け渡し式)が開催されました。
戦後7年に始まった事になる。これはスゴいこと!
約40日後の7月16日に清明あけぼの学園が孵化させた蛍の幼虫を返しに来てくれました。
顕微鏡で確認したら沢山の幼虫が居たそうです。
かわいいお礼状もいただきました。
6月15日(日)に第21回竹田市市民球技大会が開催されました。 明治地域からはグラウンドゴルフと混合ミニバレーボールの2種目に出場し、どちらも健闘しました。
ここ数年は勝利から遠ざかっている明治ミニバレーチーム。
今年はお揃いのi-meijiスポーツTシャツを着用し、12人一致団結して挑みました。
Tシャツはこちら (写真上)
前面に「燃料満タンイーメイジ」と描かれたポップなデザイン、後面の
首元にはi-meijiのロゴが入っています。
他チームからもかわいい!いいなー!と好評でした。
(写真下)
整列するとなんだか強そうなチームに見えます。
初戦は宮砥チーム。円陣を組んで「明治―!オー!」と始まります。しかし気合いとは裏腹に、練習不足が原因なのか思うように体が動きません。
ボールをあちらこちらに飛ばしているうちに、0-2で敗れました。
気を取り直して、2戦目は直入Aチーム。慣れてきてラリーが続くようになります。
サービスエースや攻撃の場面も多くなり、なんと1セット目を先取。
やったー!と優勝したかのような盛り上がりを見せました。
このまま次も、といきたいところでしたが、フォーメーションを変更した直入Aチームに続くセットを連取され、惜しくも1-2で敗退となりました。
勝利は来年に持ち越しとなりましたが、終始笑顔溢れる楽しい明治チームでした。
選手のみなさんお疲れ様でした!来年はもう1種目、増やしたいですね!
・・・・大塚ひ・・・・
会場:直入総合運動公園
暑い陽射しの下でしたが、日頃の練習の成果が出せたでしょうか? お疲れ様でした
選手の皆さん
山村忠士 添田忠孝
堀トミ子 渡辺充子
高橋イサ子 添田芳子
竹田市平田のB29墜落の地から平和を願う
戦後80年となる本年も、県内外から40名の方々の参列のもと「追悼法要」を、B29爆撃機の墜落した現場にて行いました
↑ 地元の歴史を伝える会「星ボタル」の有志の皆様が、事前に周辺整備を毎年行って下さっています
2008年に殉空の碑についての絵本を作成した旧明治小学校の保護者や教職員の方々で(渡部喜代美代表)
平和を願う思いを後世に残して行きたいと活動を続けておられます
戦争は敵も味方もなく多くの悲劇が!
竹田市平田のB29墜落の地から平和を願う
昭和20年5月5日米軍のB29大型戦闘機が福岡県の大刀洗飛行場を空爆、帰路阿蘇上空に於いて、日本軍の小型戦闘機と空中戦を展開、そのうち粕谷欣三少年飛行兵(19歳)操縦の紫電改と米軍B29が激突炎上、紫電改は竹田市宮城村に墜落、米軍B29は竹田市明治村平田の山中に墜落した。
粕谷少年は竹田市宮城村久保に於いて墜落死、B29搭乗員11名は熊本県から大分県にかけて次々とパラシュート降下した。
1名は降下による事故死、さらに1名は降下後地元民に囲まれ拳銃自殺またあと1名は地元住民に殺害された。残り7名はその後九州大学に於いて生体解剖に処された。(生体解剖は別のB29の捕虜を含む8名)
機長は取り調べの為東京に送られ終戦後帰国した。
※終戦と共に戦争犯罪への恐れから、九大や西部軍に於いて全ての資料が焼かれ、関わった軍医や執刀医も死亡した事や終戦前後の混乱などから真実は今も不明な点が多い。
B・C級戦犯を扱った横浜裁判で西部軍関係9名、九大関係14名が有罪となった。
昭和20年5月5日午前8時半頃、この地に米軍B29が墜落、乗員はパラシュートで次々降下、この地(明治村)には2名の米兵が降下したが、そのうちポンスカ軍曹は左肩を貫通する怪我を負って(原因不明)間もなく住民に囲まれ明治小学校下のレンゲ畑に運ばれ、駆けつけた地元の加藤毅医師(内科医)の簡単な治療ののち憲兵隊によって竹田署に移送、田島医師(外科医)の治療を受けた。その後福岡の西部軍に引き渡された。ポンスカ軍曹はホットした表情でこの地を離れたという。
午後になりワトキンス機長も発見され住民に取り囲まれた。機長は大きな身体で堂々とした態度で笑みを浮かべていた。気品のあるその容姿に地元民は手出しが出来なかったと言う。
捕虜の中で機長だけはその後取り調べの要ありとして東京大空襲後の混乱した東京に送られ、終戦後アメリカに帰国、後にこの追悼法要に東野医師を通じてメッセージを寄せている。
右は2024年追悼法要に寄せられたB29記念館の平和メッセージ
阿蘇上空で交戦のB29 と紫電改
阿蘇市坂梨増実さんの目撃イラスト
昭和20年3月 米軍B29東京大空襲
同3月~4月 米軍沖縄上陸
同4月 西部軍(福岡市)に「一般捕虜は東京に
送らなくて良い、適宜処置せよ」との通知
同4月 竹田市ゆかりの阿南惟幾が陸軍大臣となる
同5月 米軍B29が竹田市平田に墜落
同5月~6月 B29搭乗の米軍捕虜8名が九大に於て生体解
剖に処される
同7月 ポツダムに於いて米・英・中3国が日本への
無条件降伏を勧告
同8月 広島・長崎原爆投下
同8月15日 阿南惟幾陸軍大臣割腹自決
玉音放送 終戦
昭和21年7月 解剖実験執刀医福岡拘置所独房にて自殺
昭和25年7月 朝鮮戦争勃発により横浜裁判受刑者減刑
東野俊夫
昭和20年九州大学医学部入学。B29捕虜が九大に於いて生体解剖実験に処せられる現場を研究補助員として目撃、終戦後福岡市に於いて産婦人科医院を開業。
医院経営の傍ら、横浜裁判で不当な終身刑の判決が下った無実の恩師に代わり、事件の顛末を調査し記録に残す事にその後の人生を捧げた。
当地にも幾度となく足を運んだ。その資料は現在九州大学医学歴史観に保存されている。
※著書に『「汚名」九大生体解剖事件の真相』など
阿南惟幾陸軍大臣
父親は竹田市玉来出身、無条件降伏に反対し徹底抗戦を叫ぶ中堅
若手将校のクーデターの動きがある中、“一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル“
と全てを背負い8月15日割腹自決、平和裏に終戦に導いたと言われ
ている。
殉空の碑建立に関わった人達
碑建立者(墜落土地所有者)工藤 文夫(折立)
碑文寄稿 東野 利夫(福岡市)
「殉空の碑」書 波田野只幸(折立)
「碑文」書 酒井千代子(小仲尾)
台座施行 工藤 文夫(折立)
石材加工 阿南石材店(七里)
土地提供 大塚 尉臣(小仲尾)
他協力者 折立老人会
地元有志(折立・小仲尾)
碑の台座に立ち最後の作業で挨拶する工藤文夫さん
殉空の碑は昭和52年5月5日日本軍粕谷欣三少年飛行兵と米軍B29乗員11名の33回忌に建立された。
東野医師が戦後の調査聞き取りにこの地を訪れて工藤文夫さんと出会い、初めてこのB29の乗員のその後の顛末を知った工藤さんは、改めて戦争の悲惨さに胸を痛め、何とか供養したいと自ら石を切り運び地域の人達の協力を得て碑の建立を行った。
以来、今日まで毎年5月5日に小国町善正寺禿浩道導師により追悼法要を行い、日米の犠牲者の冥福を祈り、恒久平和への願いを捧げている。
殉空の碑追悼法要実行委員会事務局
090-2713-4073 (酒井)
2025.11.18
視察研修受け入れました
11月18日(火曜日)午後1時30分より明治分館で、福岡県東峰村の役場職員2名と(株)よかネットの方2名が地域運営組織i-meijiの視察に来られました。東峰村は、4地区に分けて地域運営組織の検討会を立ち上げている段階で、是非i-meijiを参考にしたいとの事でした。
多くの組織が部会方式を採用する中、i-meijiが企画委員会で活動・実行する事に大変興味を持ってました。また、設立にあたり成果と課題の質問もありました。
年が明けて設立委員会の人達と再び訪れたいとのことでした。
2025.10.24
秋のバス旅行
10月24日、生きがいサロンと暮サポ陽だまりの合同バス旅行(スタッフ含40名)で別府に行って来ました。
向かった先は「温泉がもっと愛おしくなる」をテーマにした鉄輪の地獄温泉ミュージアム、この施設は雨水が温泉水として生成される迄の過程をスクリーン等で分かりやすく楽しく学べる博物館でした
その後、昼食を戴き道の駅たのうららへ。買い物と別府湾の絶景を楽しんだ後、一路、明治へ。
今回のバス旅行は天候にも恵まれ、また無理のないコースで参加者の皆さんには、ゆっくりと楽しんでいただけた様です。
今後とも楽しい旅行を計画したいと思います。
2025.10.4
中九州タウンの交流会、皆さんご協力ありがとうございました
中九州タウンの交流会、あいにく開始と共に雨が・・・・
ここはさすがにみんなで協力してTSGの軒先を借りての開催に急遽変更。
こうしたハプニングがむしろ地域の絆を深める。
そして何といっても子供たちの楽しそうな顔・顔、貴重な思い出になった事でしょう。
2025.6.9
明治で育つ馬たち🐴
散歩中に小仲尾付近で仔馬を見つけました。
この馬は、一般社団法人ゆれるが放牧しているカマルグ馬(南フランス・カマルグに生息している野生馬)で成長すると親馬と同じ毛色になるそうです。
成長する姿を見るのが楽しみです。
2025.4.21
明治分館も春まっさかり♬
分館前のボタン桜、咲いたと思ったら気温高すぎ~~。
2025.4.21
明治地区を果樹産地へ🍑
今年から取り組みを自己流で始めました。桃、梨、リンゴ、ミカン、ポポー、イチジク、キウイなど。新芽がたくさん出て来ました。上手く生育するのでしょうか?今後のお楽しみです。
2025.4.18
明治地区に現在も残っている物 パート3
忠魂碑
先の大戦終結から今年は80年を迎えます。
日本の今日の平和と繁栄の尊い礎石となられた護国の英霊の顕彰と慰霊の象徴として、明治分館敷地内に建てられています。
この忠魂碑には、明治地区の戦没者97名の名前刻まれています。
平和で争いごとがない社会を望みます。
2025.1.15
明治地区に現在も残っている物 パート2
市道平田線を散歩中に「半鐘」を見つけました。
場所は、旧小仲尾公民館横の高台で大木に吊されており、今も形を変えて残されていました。
現在はサイレンや防災行政無線になどに役目を譲っていますが、昔は「半鐘」を打ち鳴ら火事を知らせていたと考えられます。
今回も明治しらゆり会の皆さんが前日14時より餅米17升(なんと25.5kg)を洗ってくださいました。餅米を蒸す時間などを考えて8臼分に分けて一晩浸水させ、朝7時半ザルに上げます。
当日朝7時半集合。各自持ち場で仕込み開始。半割りドラム缶で焼き芋をするため炭火をおこし、竈では薪でジャンジャンお湯を沸かして行きます。
さぁ、蒸して行きますよ。
火力が必要です、竈の担当は俺に任せろ!
先ずは室内で、餡入り餅の作り方のレクチャーを受けて、イチゴを包んでみたりチョコレートを包んでみたり、お土産もパックに詰めました。
10時より参加者の皆さんが集まり、分館前広場でお餅つき!まずは、力の強い大人が餅米粒を潰し手早く捏ねて柔らかくします。テンポよく腰も入れてソレッ♪見てる方も力が入ります。
みんな上手にお餅をついてくれました。実食では「大根おろし・かぼす・醤油」。あったかい豚汁、手作りの「ショウガの漬物」そしてホカホカ焼き芋もあり、地域で老若男女の交流ができ、楽しいひと時でした。
ギリギリ参加できた市内駅伝大会!
~ちょっと感じたスポーツの秋~
11月24日(日曜日)、第78回竹田市駅伝競走大会が開催され明治チームも出場しました。いつも選手集めに苦労する事務局の姿をみて、大変だなと思うのと同時に
明治を代表して走っていただいた選手に『感謝』です。
今回は、久しぶりに「明治」の名前が表彰式で轟きました。Ⅽ部3位
そして2名の方が努力賞でした。すごい!!
沿道で応援する方、選手のお世話をする方、一生懸命走る選手!いろんな役の方と久しぶりに会い、立ち話しを深めました。
スポーツの秋なのか、出会う人みんな『さわやか』でした。
1区 丸小野真紀さん
2区 原田 祥信さん
3区 王 恵楽 さん
4区 渡辺 久哉さん
5区 馬場 佳隆さん
6区 大塚 健人さん
7区 小笠原凛音さん
スタッフとして協力頂いた田平の衛藤さん、荻迫の井野さん親子、それに事務局の皆さんお疲れ様でした。
明治しらゆり会、竹田市食生活改善推進員13名で食に関する活動をしています。
今年もおしゃべりサロンのグループに出掛けてフレイル(虚弱)予防の話をして 今年度は実際に料理を提供し共食しています。
食事(またくちにやさしいわ)に気をつけて運動しながら そして社会参加(サロンや暮らサポ等)して少しでも元気に過ごしていただけたら嬉しいです。
(会長 高橋はつみさん)
栄養はバランスが命
「食べることは生きること!!」
説明にも力が入ります。それを熱心に聞いて下さってます。
明治には4つの「おしゃべりサロン」が有り、今回8月21日は政所ひまわりへお伺いです
フレイル予防の食事で大切な事は、運動機能の低下による「転倒や骨折」を防ぐことです。そこで骨折予防の料理を提供しています。特にカルシウムとビタミンDが必要、また筋肉のもとになるたんぱく質が不足しないようにしっかりとりましょう。これだけの料理をメンバーの皆さんが手際よく作って盛り付けていきます
「またくちにやさしいわ」
いろいろな食品を食べることで、栄養状態を良 好に保つことができ、健康につながります。 1日3食、主食・主菜・副菜を組み合わせて、い ろいろな食品をとりましょう